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2007.03.14.Wed / 04:03 
4.いよいよボランティア開始



 「A TOTAL RE-HABILITATION HOME FOR STREET CHILDREN」、通称「Helping Hand」。

その名の通り、ストリートチルドレンや孤児、親はいても虐待されるなど正常に育児をされ

ない子供が寝泊りしながら勉強、遊びなどすべての生活を行う私立の施設だ。子供たちに

とってはここが家であり、学校であり、遊び場である。アリス氏という女性が私財で設立し、

夫や家族、友人らとともに支えている。運営は、敷地内で飼育する熱帯魚や観葉植物を

売るお店を出しており、その収益から約6割をまかなっている。行政からの補助は一日5

ルピー(日本円で約13円、物価の参考までに現地の平均的な朝食代は20ルピー、鉛筆一

ダースは30ルピー)寄付もあるが、金銭的なものより食料やパソコンなどの物資が多いの

だという。



明るい色の塗装やデザインの幼稚園のような3階建ての建物である。上の階は瓦礫の骨

組みのままで、建設中なのだという。川沿いのこの土地は、もともとアリス氏の祖父が所有

していたのだが、ゴミ捨て場になってしまっていたのを彼女がストリートチルドレンを救う施

設を建設するため買い戻してさらに土地を増やした。実業家としての才能があるのだろう

。そして施設はライオンズクラブの協力もあり子供たちとともに一から建設された。電気や

水道も、アリス氏の夫の手でひかれた。スラムやひどい環境をも覚悟していたのだが、ず

いぶん明るく清潔で意外だった。最初に案内されたのは6畳もない小さな小屋である。中

は工具でいっぱいで、ここが最初に建てた「Helping Hand」の始まりだという。子供たちが最

低限夜に寝る場所を確保するために、このような小ささになっており、現在の建物を2003年

に建設した後はアリス氏の夫が子供たちに工具などの技術指導をするための部屋として

使われている。

 ここで暮らす子供たちは、下は4歳から上は23歳まで全員男の子である。特に男女差別とい

うわけではなく、男女混成にして問題が起こるのを回避するためだという。アリス氏が、ストリー

トで孤児を見つけては施設に誘い、現在55人が在籍している。この程度の人数が最も把握し

やすく、100人も収容するような他の孤児院は多すぎる、と氏は言う。それもそのはず、アリス氏

は子供たちみんなに声をかけ、時に抱きしめたり、叱ったり常に子供たちの母親役を果たしてい

るのだから。「一人が私のところに来ると、そのうちみんな来てしまって大きな輪ができてしまう

の」といってアリス氏は高い声で軽快に笑う。



子供たちはおそろいのシャツに半ズボンの制服を着て、集団生活の中で規律正しく、しかしのび

のびと元気に暮らしている。津波で孤児となった子もいれば、兄弟で入所している子もいるのだが

「孤児」という悲壮感を全く感じさせない。そんなことを考える以前にとにかく元気で可愛らしいのだ。

目が合えば、笑顔を見せてくれる子供たちに逆に元気付けられるようだ。

 

 実はこの施設でボランティアを受け入れるのは初めてのことで、受け入れ側も、私たちの側も手

探りでチャレンジする日々だった。

ボランティアの一日の流れは、朝8時45分に宿舎廊下に集合し(私たちは市内の地方政府の運

営する宿に泊まっていた)、みんなで朝食に行き、そのまま10時ごろ施設に行く。午前中施設で

ミーティングを行ってその日授業について話し合い、子供たちの昼食の時間まで一時間強、午

前の英語の授業を担当する。教える子供たちは4歳から15歳くらいでひとまとめになっていて、能

力もばらばらなので、基本的な会話や絵や歌、ダンスを使った指導を行った。合間には子供と遊

んだり、アリス氏の話を伺ったりする。昼食を挟んで午後はフィジカルワークということで、学校建

設のためのレンガを積んだり、セメントに使う砂を運んだり、薪を運んだりと子供たちが日頃する

文字通りの肉体労働を手伝う。労働といっても、子供たちはやらされている、というわけではなく、

自分たちで進んで自分たちのために仕事をしている。この姿勢には本当に目から鱗だった。食事

のあとに机を拭くのは誰、床を掃除するのは誰、などとそれぞれ担当が決められており、その仕

事の仕方も大変丁寧で、一生懸命なのである。日が暮れるのと同時にワークは終了、子供たち

は夕食をとり、私たちはのんびり語らいを楽しみ、夕食をとって八時すぎごろ宿舎に戻る、という

生活だった。



 子供たちの一日の生活は5時に起床し、6時から7時まではヨガやダンスなど、日替わりの文化的

活動をし、7時から8時半まで朝食や着替えを行い、その後タミル民族の「バイブル」という民族の

誓いのようなものを唱える。これは民族としての心を忘れないために行っているという。8時45分

から授業開始、昼食、昼寝を経て、遊びの時間もある。この間フィジカルワークをする子供もいる。

夕方の授業は7時半まであり、夕食をとって9時ごろ就寝する。土日はまた異なるスケジュールで、

午前中音楽のレッスンがあり、伝統楽器を使い何と外から専門の音楽教師を招いて練習をしてい

る。子供たちは大変才能豊かなことが分かる。クリスマスにはステージを作ってダンスやヨガ、歌

や楽器の発表会を行うなど日頃の成果を披露するイベントも実施しており、壁に飾ってある当時の

楽しそうな写真を子供たちは自慢げに指差してくれた。



 英語の授業は、完全に私たちボランティアの手に任された。ネイティブであるアメリカ人とワーク

キャンプ経験者のイタリア人がリードしてくれた。子供たちは大きな声でフレーズを復唱し、覚える

のもとても早い。能力差や年齢差があり、集中し切れていない子もいるが、絵を描いたり歌を歌った

りするときはどの子も楽しそうだ。にぎやか過ぎて注意されるほどである。また、英語ができる子も

決してつまらなそうな顔はせず、率先して会話練習をみんなの前でやって見せたり、英語を現地

のタミル語に通訳したり私たちのサポートまでしてくれる。会話の練習では、恥ずかしがる子もい

たが積極的に手を上げてみんなの前で暗唱して見せる子が多く、逆に自分に当ててもらえないと

不機嫌になったり何回も当ててもらいたがったりと、私たちが苦笑するほどであった。

 私は英語に対する興味を喚起すればいいだろうと思っていたが、子供の能力に合った英語をそ

れぞれ学ばせるためにはクラスを習熟度別にしたり、授業内容を理解しているか細かくチェックし

たりしていくことが必要になるだろう。



 授業時間外では、日本から持ってきた折り紙を教えたり、紙風船(インドにはないらしい)で遊ん

だりと日本文化の紹介もできた。私は写真が趣味なので、いつも一眼レフで子供たちの表情を追

いかけた。写真が大好きな子供たちはすぐに集まってきて、笑顔を見せてくれる。子供たちは英語

が十分に話せないので、ほとんど身振り手振りや英語の単語によるコミュニケーションだったが、

不都合はなかった。私を見るなり「JAPAN,JAPAN」と声をかけてくれたり、名前を覚えてくれたり、

サインを求められたりと子供たちとの接触がとても楽しく、ボランティアを終え、施設から宿舎に

帰っても子供たちの顔を思い浮かべながら幸せな気分に浸る、という日々が続いた。



 フィジカルワークも、肉体労働というとひどくきつい印象がすると思うが、実際はとても楽しく行う

ことができた。みんなで協力することや身体を動かすこと自体楽しい、という感覚を子供たちやほ

かのボランティアに教えてもらったからである。子供だからできないなんてことはなく、むしろ彼らは

大人以上に小回りが利き、よく働く。思いやりもあり人のために何かすることをいとわない。例えば

地面に座って作業をしているときは自然に敷物を持ってきてくれる。日本の感覚だと、子供が労

働するなどありえないと思ってしまうが、こんな子供たちを見ていると途上国で児童がどんなに貴

重な労働力資源なのかよくわかる。

子供のまじめさと純粋さゆえに搾取されてしまうのは悲しいことである。

 そんな思いも抱きつつ、無心に身体を動かし、インドの施設の屋上で世界の仲間と風に吹かれな

がらレンガ運びに汗を流す。多くのことを教えてくれるこの瞬間が自分にとってどんなに貴重だろう

と強く思った。

5.インドでの生活



 ボランティアは、完全に現地の暮らしに即して行われる。というのは、観光旅行であれば外

国人向けのレストランに行ったり、ホテルに泊まったりできるだろうが、食事も出されたものを

食べ、決められた宿舎で過ごさなければならない。もちろん宿舎はテレビも何もなく、ボランティ

アとおしゃべりするのが唯一の娯楽だ。夜は自由だが、特に店も近くになく夜はバーですらすぐ

閉まるので、2度ボランティアみんなで飲みに行ったくらいであった。そもそも、昼動き回るので

疲れて夜はすぐ寝てしまうのだが。

 みんなを悩ませたのが他ならぬ蚊の存在だった。日本ではありえないほどの大群が毎晩押

し寄せる。私も手足にたくさんの虫刺されの跡がいまだに残っているほどだ。

 しかしそれより私にとって最も大変だったのは、食事である。生水も飲めないインドである。も

ともと潔癖症というほどではないが、衛生には用心していたため食事をとるのはしばしば勇気が

要った。また、毎食同じようなカレー(日本とは違うものであまり合わなかった)で飽き飽きして

いたし、インド料理特有のあるスパイスが苦手で、食事を残してしまってチームリーダーに心配

されるという場面も初めのころはよくあった。

 

 今まで楽しい思い出を書いてきたが、実は生活に慣れてきたのは、やっと5日目のことである。

やはり食事に対する「汚い」という意識が表すような「違和感」をそれまでずっと捨てられずにい

たのである。それは先進国と途上国という自分の中の見えない壁だったのかもしれない。しかし

5日経ち、「空気になじむ」という瞬間を肌で感じた。いつものフィジカルワークのときである。吹く

風が不思議と違って感じた。とてもすがすがしい空気に感じたのだ。水も、出されるお茶も、使わ

れる食器もいちいち神経質にきれいかどうか確かめることをやめたいと思うようになっていたの

である。それまで、恥ずかしいことにストレスから毎日残りの日数をカウントダウンしていた。その

ときの気持ちは「あと何日で帰れる」、というボランティアにあるまじき後ろ向きな姿勢だったのだが、

それ以降毎日が楽しくて仕方なくなり、カウントダウンも「後何日しかないのだ」という気持ちに変わり、

できる限り長く滞在したいと思うようになっていた。

 おそらくそれは、単に日数が経過したからだけではなく子供たちをはじめとするインドの人々と暮らし

ていて、彼らに対する尊敬の念を持ちはじめたことや、同じ目線でインドに暮らしたいと思うようになっ

たことによるのだと思う。



 また、実は私は事前に旅のガイドブックを読んで、気をつけすぎるくらいインド人や食べ物に警戒して

いたのだが、夜中でも「危ないところはわかっているから」と一人で出歩いたり、地元の人とも笑顔でコ

ミュニケーションをとったりしている強気で自由な欧米女性参加者たちに教えられたことも大きい。彼

女らを見ていて、強くあれば警戒し過ぎなくても大丈夫なのか、と思わせられたのだ。

 もちろん現地の住民が優しい人ばかりで、何もトラブルに逢わなかったのは幸運かもしれないが。

確かにこの町の人々は本当に温かかった。カメラを向けてもポーズをとってくれたり、目があったら

言葉はなくても笑顔を向けてくれたり。特に一般にインド人は写真を撮られるのが好きらしく(インド人

談)、写真をとってもいいかと聞くと大抵断られないし、家族をわざわざ家から呼び寄せて家族写真

を撮らせてくれる方もいた。おかげで、撮影した写真は36枚撮りフィルムにして15本ほど…ざっと540

枚もあった!!

6.インド社会における課題



 前述のようにインドではボランティア、NGOの発展が未だ途上である。この施設も、設立者である

アリス氏が自らの手で設立・運営し、スタッフも彼女の幼馴染の女性が英語の教師をしているなど、

彼女の周囲の人々の手で支援されている。実にプライベートな施設である。今後の運営はどうして

いくのか、彼女がずっと支えていけるのか、この点について本人に疑問をぶつけたところ、彼女も

スタッフも、その点について全く見通しは不明だと正直に不安を話してくれた。彼女たちは、毎日

目の前の運営で手一杯であるという。今後、もっとNGOや政府による援助を得ていく必要がある。



 また、もうひとつの課題はボランティアの受け入れの指針である。今回のような1,2週間のワーク

キャンプとしてボランティアを受け入れている施設は多く、ボランティアにとっては気軽に参加できて

良いが、支援を受ける側は次々にボランティアが交代で訪れるという形になり、ボランティアが責任

を持ち仕事に取り組みにくく、持続的ではない。しかし、長期にわたりボランティアとして働くことを希

望する人は多くはない。ボランティアと受け入れ施設のマッチングは非常に難しい問題で、今回利用

したNICEやFSLなどの仲介NGOの存在が非常に大事であると感じた。



7.日本と発展途上国



 日本では、消費社会ですべてのサービスは購入するものになってしまっている。人は自分の力で何

かができることを忘れてしまっている。発展途上国の人々は生き生きとしており、一生懸命働いている。

施設の子供たちも自分の力で学校を建ててしまうのだ。社会が高度化するにつれて人任せになり、自

分の力で何もしなくなり、消費だけが生活になって人々や地域共同体の絆も弱まってしまう。それは非

常に悲しいことだと感じた。日本人はやはりなにかがおかしいのではないか、という強い疑念が頭を

もたげた。と同時に、インドも将来発展したら日本のようになってしまうのか、と思うと残念になる。何

か先進国として課題や反省を生かして新たな発展途上国の健全な発展を支援することはできないか

を考えていく必要がある。



 今回、この体験を通していろいろな文化の違いや社会のあり方を目の当たりにし、実に多くのこと

を考えることができた。今後は、インドや施設の現状をより多くの人に伝え、かたっていきたいと考え

ている。大量に撮影した写真で、写真展をして日本の市民に伝えることもひとつの有効なアウトプット

となるだろう。日本でも、自分なりにインドでの経験を沢山の人と共有し、さらに今回考えたことを深化

させ、課題の解決法などを模索していきたい。



★追記



帰りに寄ったムンバイ(インド西部)での観光―インド門、ジョンレノンやクリントンなどセレブが泊まっ

た豪華ホテル(トイレに寄っただけ)、世界遺産エレファント島へ遺跡を求めてのフェリー旅、ヒンドゥー

教の教え―、インドでのお土産値切り交渉武勇伝(売り子に負けず五分の一までにも値切る私)など

など、書きたいことはまだまだたくさんある。

そのうちひとつ例を挙げれば、面白かったのはインド警察署での警察官とのバトルである。前述の通

り、財布をなくした(盗難?)私は、保険のために紛失証明書を発行してもらうため警察署にいった。

しかし渡されたのは白い紙一枚。これに名前などを書けという。これではあまりにも信憑性がなさそ

うなので(というかむしろなんで私が書かなきゃいけないのだ?)、いや届け出たいだけだというとい

ろんな人が代わる代わる来て(全部こわもてのおっさん)「本当にここで失くしたのか」「紛失といわれ

ても信じられない」などと渋る。最終的には「どうやって失くしたものを証明するのだ」「マジで助けて」

と私が力説し、やっとおっさんは鍵つきのロッカーを開けて証明書を出してきた。(っていうかあるな

ら最初から出せ)最後は、私がサインするときに「お、変な持ち方するね(笑)」とペンの持ち方をから

かうほど気を許してくれた(?)。いやー、貴重な経験ができました。



今後もインドでの体験、考えたことはいろんな人と共有していきたいと思う。

Let’s talk and think together!!

そしてありがとうINDIA!!!



(2007年3月14日、なぜかタイ出発直前にUP)





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